『ゲーム的リアリズムの誕生』―ベストセラーの構造2

リアリズムを「形而上―形而下」という自然主義の軸ではなく、「プレイヤー視点」で捉えるってことか。『テズカ・イズ・デッド』で分けられた2つのリアリティー―「整合性」と「現前性」―のうちの後者「現前性」が「プレイヤー視点」と繋がっている、と。

ニコニコ動画って何で楽しいんだろう?って熊っていた熊さんがいたが、これがトリックだよ。TVでも視聴者参加を取りこんでるクイズ番組が多いね。あれも同じ。ネットもブログもエロゲーテトリス2chも「返事をしてくれる」というとこにおいて、全く同じ。

この「儀式への参加」こそが、ポストモダン的なリアリティーなんだ。

だから、ひとつメタレベルが上がっちゃったんだね。物語には既にリアリティーという普遍性は無い。だから、<「物語」を物語ること>によってでしか、リアリティーを感じることができない。これが「ゲーム的リアリズム」なんだよ!(ドギャ〜ン

このメタ化っつーか当事者化ってのは萌え理論さんの「(「戦闘美少女の精神分析」とツンデレ=ヒステリー論 - 萌え理論ブログ)」と同じ構造だと思いまつ。

(萌え系)オタクは(戦闘)美少女を通じて欲望する。しかも、美少女という中継地点がないと欲望できない。更に、美少女がオタクの位置から欲望する、というところまで来ている。
――「戦闘美少女の精神分析」とツンデレ=ヒステリー論 - 萌え理論ブログ

違いがあるとすれば、ゲーム的リアリズムFPS(一人称視点=自分は見えない)であるのに対し、萌え理論さん(というか、齋藤環?)のリアリズムはクオータービュー(三人称=自分の分身というか鏡像も見えている)ってかんじかな。


でもさ、これって、中島梓のばっちゃが『ベストセラーの構造 (ちくま文庫)』で既に言っていたんですけど……。ここは、ばっちゃの名にかけて形而上フィールドでロカンタン君とマチュ・ピチュしてきてやるZE☆

実は、ファウストの連載で読んだんだ……。ブックオフで全部100円で売ってたんだもの。大人買いしちゃったYO!だから、新書の方の内容は、聖闘士星矢GのGってゴールドセイントのGなのか、とブックオフでチラっと立ち読みして気づいたぐらいに知らぬ存ぜぬ。


だが、敢えて言おう――


東よ……


聖闘士に同じ技は二度と通じん!!