指切る綾取り

ストローヘッドは脳みそが欲しいって歎くのよ

脳みそがあればダンスも上手くできるのにって


バッカみたい


脳みそがあったって ただの人形なのにね

ストローヘッドが人間になれても

踊ってくれる相手はいるの?


どちらが正しいだの、悪いだの、善だの、悪だのじゃない。潔いか否かだ。いや、惨めなら惨めに惨めでいいのだけれども、惨めのクセに高潔ぶるのも、それはそれで悪くもない。なんつ−かさ、ムナシイよな。

「素直で礼儀正しい」という評価を失ったことはない。
――@「元記事の作者」

だから?「生意気」である「べき」だった?そうであれば「成功」できた…とは限らないと知っている。

生意気でも、素直でも、スネちゃまでも、それが「他人の評価」であるかぎり、どれも同じだよね。きっと、どんな自分でも満足できないよ。

そもそも皆さん、元記事の後半「私と彼らの明暗を分けたのは」以下のくだりをきちんと読まれていますか?どうして趣旨が正反対に誤解されるのか理解できません。そして、「大学院にトップクラスの成績で入った」などと書いてもいないことを前提として話をなさっている。そして、中島氏の誤認をそのまま敷き写しで話をしていらっしゃる。きっと自分で判断する力などなく、エラい人たちの尻馬に乗るしか能がないんでしょうね。
――@「元記事の作者」

そして、尻馬に乗る能すらない人を彼らは嘲るのですよ!ふふふ。

神経症な状態の時、人は現状評価が「甘い」そうですよ。健康な精神状態の人は「それが成功しない事も折り込んでいる」から、絶望しない。それに伴う悲歎もオリコミズミ。

だけど、神経症な人は栄光に心を奪われちゃう。栄光を愛するまでに至らずに、恋をする自分に恋をする。だって、愛しているのは自分だもの。

ゆえに、挫折は自分の否定につながる。批判も人格批判となる。それを認めたくないから「道徳」で武装する。相手を卑下する。

でも、本当は知っている。自分には自分しか見えていないことを。けど無視できてしまう、図太い人間。繊細なくせに、鈍感な…グロテスク。

そこでVoid様へ。元記事中で挙げた人たちのことを「よく知りもしない他人」と断定なさる根拠はどこにあるでしょうか?実際は彼らはよく知った友人達ですよ。そして「頭の悪い人」などと思っているわけもない。彼らは「努力していなかったのだから今できないのは当然、でも俺はやればできるんだ」と言い切れる程度には頭のいい人達ですよ。そして彼らは、学界を対人能力なんかで切り開いていく邪道をやる人間ではありませんよ。元記事をもう一度お読み下さい。

「通りすがり」様と「初学者K」様へ。私からすれば、あなた方のように「自分の目では何も見なかったのにステレオタイプだけで上から説教をする輩」こそ「理解できる」のですよ。たとえば「ママのロボット」呼ばわりされるのはもう百回目ではきかないでしょうね。そしてそういう人たちの話を真面目に聞けば必ず根拠なしか事実誤認。もう飽き飽きしたんですよ。あなた達の話を聞いても無駄だということは痛いほどよくわかってます。そういう雑音を撥ねのける度胸がなかったために、元記事のような卑屈に陥ったんですよ。でもおかげさまで、子供の頃からの夢を代償にしただけのことはあって、よく理解できました。あなた方こそが卑屈と嫉妬の塊で、自分が努力をする代わりに他人を貶めて満足するだけのかわいそうな方々だということが。
そこで「表現は様々ながら親身に教えてあげようとしている」のですが、あなた方はどうやら「何か改まる/めることも無いでしょう」ね。「ダメ人間とまでは思いませんが、こういう社会人ってあちこちにいるじゃないですか」というお言葉はそのままお返ししましょう。ご自分を「立派なビジネスマン」だと思っていらっしゃるようですが、一度鏡を見られてはいかがかと存じます。「天に唾」という言葉を差し上げましょう。私はあなた方のような方々に「自分の縮図」を見たことはありませんが、「好意が受け取られずに無にされていくこと」は子供の頃から数限りなくありました。あなた方のような善男善女の素晴らしい言葉には感動の余り目眩がして歯が浮きます。「救いようのない程の善意」を私のような赤の他人の下賤の輩にお持ちくだされるあなた様はさぞかしご立派な聖人君子で、私の親友はもとより、両親や実の兄弟よりもう敬うべき方なのですね!あなた様を尊師と呼ばせていただきましょう!でも一言だけよろしいでしょうか、あなた様のなさっていることはご自覚どおり「たまらない冒涜」ですよ!悪を自覚なさっても改められないとは、本当に素晴らしいご立派な方ですね!

最後に、tad様へ。私は、権威を嵩に着て傲慢な振る舞いをする人間や、それにおべんちゃらを使う人間に売られた喧嘩は必ず買うことにしています。これはある種の趣味ですので、お気持ちは有り難いですがどうぞお気遣いなく。

投稿: 元記事の作者 | 2007.02.26 10:55

『悪』のカリスマに触れたことが無いなんて!!!

そりゃぁ、そんな「いい趣味」を持っている、中途半端で紛い物な『悪』じゃ、『悪』にすら、相手にされませんよね〜。

そんな「雑魚」に常勝する事で満たされる程度の『悪』なんて!『悪』ですらないわ!!!むしろ『悪』の方から願い下げです!あんたは『善』です。お願いします。『悪』の品位を下げないでください(懇願!

説教師の皆さん方に一言返礼を。
あなた方の説教は、もし12歳の時の私が聞いたら有益だったと思います。でも、あなた方に心配される必要もなく、私はそれぐらいのことは15歳までには自力で発見しておりましたよ。「学歴なんて大したことない」とおっしゃる方もおられますがその通りで、その程度のことを理解しておれば私のような頭の悪い人間でも、大抵の試験を突破する実力ぐらいはすぐに備えられるものなのですよ。しかしあなた方は学歴に必要以上の劣等感をお持ちのところを見ると、大人になられて最近ようやくその程度のことにお気づきになられたのですね。いえ、よろしいのですよ。人間、そんなことが優劣を分けたりはいたしません。努力の結果は素直に認めるべきです。あなた方のことを見下したりなど決していたしませんとも。あなた方は私のことを頭ごなしに馬鹿だと決めつけておいでのようですが、そのうちに皆さんも今すぐ、見たことのない人間を侮辱することがいかに下らないことなのか理解できるようになりますよ。それまで暖かく見守って差し上げますからね(はぁと)
――@「元記事の作者」

こういうのを、慇懃無礼と世間のバカどもはいうのですよ、偽君子さま!

バカでも、アホでも、「礼」のない人は寂しいですね。

 そもそも「頭が良さ」が一つのものさしで計れると思っている点が大間違い。百歩譲って、「旧帝大の大学院にトップクラスの成績で入れるぐらいの学力がある」=「頭がいい」という彼のものさしを認めたとしても、「俺はこんなに頭がいいのになぜ成功できないのだろう=頭がいい人は成功して当然」という発想はあまりにも甘すぎる。子供のころから、「東大に入りさえば幸せになれるのよ、○○ちゃん」という母親の一途な価値観だけに踊らされて塾に通い続けた学歴社会の被害者、とで言えば良いのだろうか。
――@「Life is beautiful: その「頭がいい人は成功して当然」という発想が甘すぎる

この「子供のころから〜」という「例示」とも「比喩」とも言える、「不正確な」部分に拘り、揚げ足を取り、「侮辱」と解釈、即ちは「人格批判」と受け取ってしまう議論のできない心理状態。これこそ、「べき」思考によって、自身の「何か」を抑圧し、心の葛藤を他者に投影する幼児的な神経症者である、と加藤諦三なら言いそうだよ、マミー。

そして、私の分野で研究者を目指すならば、旧帝大レベルの大学院に行くのは必要条件であるのです。だいたい、私の分野には頭のいい人間は掃いて捨てるほどいて、「頭がいいから成功して当然」と思えるはずがありません。私が自負しているところはむしろ「頭の良さ」よりも「根気」や「情熱」や「感性」といった側面です。見損なってもらっては困ります。
――@「元記事の作者」

そう、神経症的な人は完全主義が好き。でも、それが幻想である事も知っている。だけど、葛藤してしまう。「頭がいいから成功するとは限らない」ことを、彼は知っている。その命題の背景に「頭がいい人は成功して当然」という発想があることも気づいている。


だから、彼は成功しなくてはならない――


しかし、それは思いこみ――


ゆえに「私」は成功す「べき」であるのである!


されど、僕は成功していない…・・。

その他、私へのお説教については「ご忠告ありがとうございます」とだけ申し上げておきますが、従いません。あなた方は私の親兄弟でも友人でもありませんからね。「素直になれ」とおっしゃる方もいますが、言いがかりをつける人に素直になる必要はありません。「傷つけ」と言われるに至っては、一体あなたは何様なのかと申し上げておきます。
――@「元記事の作者」

従う……。


友人にシタガウ?


権威に媚を売る八方美人、「中庸」を気取る「自分を持たない寄生虫」……。それらを嫌悪する貴方が「シタガウ」なんていう奴隷根性丸だしの「呪詛」を使ってしまう。いや、使わされてしまった。

神経症な人々はナゼ他人に媚びへつらうのか?なぜ、大衆は他人を貶めなければ愉悦を得られないのか?なぜ、他人なんかが「私」にとって、「権威」になり得るのか?

結局、親離れができていないマリオネットなんだよ。僕を誉めてくれる。僕を無条件に愛してくれる。僕に応えてくれる。僕を看とめてくれる。僕をかまってくれる!そんな「母なる存在」をいつも求めてきた可能性……。それは兄弟であり、友達であり、恋人であり、それら全てと…全て以外のもの全てですらなかった。

ソレは、友達ではなかった。恋人ではなかった。兄弟ではなかった。父ではなかった。母を僕から奪う「他者」ではなかった。全ては全てすべからくして「母なる存在」のオルタナティブであるべきであり、オルタナティブなんかでは決して無く、「母ソノモノ」でなければならなかった。たとえそれが、イツワリだと気づいていても。気づいてはならなかった……ナルシストだから。自分が可愛くてたまらないから。


「良く知った他人」


では、彼らは貴方を良く知っていたのだろうか?貴方は、彼らに「私」を知ってもらおうとしたのだろうか?

私はあなた方のような方々に「自分の縮図」を見たことはありません
――@「元記事の作者」

なぜなら、「他者」は存在しないから。なんて孤独……。きっと貴方は立派な「他者もどき」と自身を同一化する事はできるのでしょう。だけど、「悪魔」は認めない。自身の中に巣食う「悪の衝動」は抑圧しなければならない。僕は天使。誰からも愛される天使。『明るい世界』こそが、僕の「エデンの園」。アダムをそそのかす、イヴなんて…いるはずがない世界の果て、楽園の園、貴方しか存在する事を許されなかった特別製のミラーハウス。

貴方の目に映るのは貴方の影。貴方の残像。貴方ではない貴方。貴方であるはずが無い貴方。貴方であるべき、貴方で無い貴方。貴方の理想―仮想―妄想。

プリンスをラビリンスから救い出す「運命の赤い糸」の片端は「プリンス」の「左手の小指に」。もう片端は鏡に映る「プリンセス」の「右手の小指に」。死が二人を分かつまで……。

「好意が受け取られずに無にされていくこと」は子供の頃から数限りなくありました
――@「元記事の作者」

好意は受け取らなければならないもの。好意は返さなければならないもの。


それはナゼ?


「ねぇ、坊や。私の可愛い坊や。ママのこと好き?」


幼児にとって、母からの拒絶は「死」を意味する。だから、応える。返答する――「うん、ママ大好き!」という、恐怖に裏打ちされた愛を――。


僕はね。同じ質問を祖母からされたよ。


「おばあちゃんの事、好き?」


薄暗い寝室。黄色い小さな明かりと、点滅するテレビの光に瞬く祖母の泣きそうな顔。

小さな僕の心は張り割けんばかりであった。僕はおばあちゃんが好き。おじいちゃんも大好き。ママも好き。パパも好き。だけど、ママは泣いてた。おばあちゃんも泣いてる。

僕は誰にも泣いて欲しくないのに、おばあちゃんを悲しませたくないのに、ママを選ばなきゃいけないと知っている。ママが泣いてしまうから……。おばあちゃんとは、十分に長い間、過ごしてきた。今度はママと一緒にいてあげなきゃいけない。


だから、僕はママを選んだ。


僕は、あの瞬間を一生忘れないだろう――そう応えた瞬間の罪悪感から、衾を上げて自身の顔を隠した瞬間を……。


僕は、おばあちゃんを捨てたんだ……。ママのお母さんを捨てた。僕は母を捨ててしまった。


僕は泣かなきゃいけなかった――

母を捨てたのだから……。


僕は泣いてはいけなかった――

母を選んだのだから……。


僕は泣きたかった。

僕は笑いたかった。


ただ、苦しかった。

彼らは「努力していなかったのだから今できないのは当然、でも俺はやればできるんだ」と言い切れる程度には頭のいい人達ですよ。そして彼らは、学界を対人能力なんかで切り開いていく邪道をやる人間ではありませんよ。元記事をもう一度お読み下さい。
――@「元記事の作者」

「対人能力」とは、「媚びを売る」ことではないよなぁ。

「媚び」だろうが「ゴマスリ」だろうが、自分しか大事でない人間のすることは、「対人」でなんでもないじゃん。「邪道」だろうが「覇道」だろうが、自分がある人は誇りを持ってカスに頭を垂れるだろうさ。

彼らは無駄に有意義にサボっていただけ。努力すべきでもなければ、結果が伴うべきでもなく、原因があるべきでもない。彼らは「頭がいい」以前に、「彼ら」であった。ただ、それだけ。だから、彼らは失敗しても悩む。苦しんでも、絶望しても、諦めても、死なないし、死ぬ勇気も無いヘタレだから死ねない。成功するから幸せなんじゃない。成功する以前から、彼らは既に幸せなんだよ。

捨て身でも、どこか棄ててない。真の楽観主義でご都合主義でイイトコドリな彼ら――フザケテル?

自身の葛藤を成功で満たそうとしても、穴のあいたバケツで水を汲むようなもの。底に残るのは「虚ろ」な穴だけ。

だけど、彼らは知っている。その穴は「虚ろ」であるとともに「空」であることを。


空の青さを彼らは知っている。

空の高さを知っている。


彼らの足元に見えるのは、彼らが汲んで来た水の青さなんだから。

「ママのロボット」呼ばわりされるのはもう百回目ではきかないでしょうね。
――@「元記事の作者」

ただの比喩なのに……。どうして「バカ」なんていう「ただの記号」に侮蔑の意味を見出すのか?「バカ」というオリジナルがどこかに存在するのか?はたまたコピーのコピーがコピーすることでオリジナルを存在させるのか?

唾棄すべきカスのオルタナティブですらない、交換不可能でユニークなオリジナルなんて、この世に存在するのだろうか?そんな「者」未満で、「者なんかであるわけがない」モノ以上で、「者ですらない」MONOが、存在し得るのだろうか?


自分で自分を操る人形遣いの操り人形な毎日――。


パペットは一人では立てない。だからこそ、マスターを必要とする。されど、マスターは黒子でなければならない。観客から賞賛を浴びるのはパペットである「私」なのだから。

自身の価値を誇示するためだけに他人を必要とする。否、利用する

自分が、『軽い木』で出来ている事を隠すために、観客を喜ばすという「善」をたてに、マスターを服従させ、自身に「重い」価値を持たせようとする――観客という外からの評価をもってして。

「『軽い木』で出来ているから、軽快な操作を可能にする」などとは決して考えない。パペットが必要とするのは、謙虚なマスター。従順な僕であり、常に勝つ事ができる負け犬。常にパペットを引き立たせるための道具であり、意思のないパペットマスター

負ける程度の価値しかないと思いこむ、憐れなマスター。パペットをパペットたらしめるのは、彼の操作技術があってこそなのに……。

お互いにお互いを必要とし、お互いにお互いを搾取する共依存

そんな負け犬に操られている事も知らずに、今日もパペットは必至に踊りつづける。そんなマペットに子供達は無邪気に喜びつづける。

一方で彼らには失うものがなかった。もはや不勉強は隠しようもなく、そこで開き直ってやるしかない。手取足取りでも何かをやらなければいけなかった。そこで彼らは平気で先輩や教官に頼った。それでも彼らのプライドが挫けることはなかった。知識も経験もないくせに、やりたいことだけは一人前に主張した。「努力していなかったのだから今できないのは当然、でも俺はやればできるんだ」そう思ったことが彼らの勝因だったのだろう。そして一旦手をつけてしまえば、日頃培った一夜漬けの能力でなんとでもなる。そう、一夜漬けができることも重要な能力の一つなのだ。それを自分で認めてやることこそが重要なのだ。
――「頭のいい人が成功できるかどうかの境目

嗚呼、可哀相なパペット。子供達は貴方のことが大好きなのに…凄い芸のできるパペットでも、失敗ばかりのパペットでも、子供達は貴方の事が大好きなのに……貴方は気づかない。「失う愛情」なんて、もとからどこにもないのに、貴方は貴方である事を貴方が許さない。貴方は失敗しない。失敗すれば「子供達」を失ってしまうと思いこんでいるから……。なぜなら、貴方は愛情を「与える」という事を知らないから――。

エスは「相手が自分の愛を受け取る姿を確認するのが怖い」から「ただ、愛を与えることを説いた」のか?

自分に愛を貰うだけの価値がない事を知るのが怖いから、与えつづける事に逃げたのか?


違うはずだ。


エスは知っていた。ケチな律法に固執する事が、いかに無意味であるかを。自らで考えず、法に責任を押し付け、法が約束してくれる世界の外には「何もない」と信じようとする、なめ腐った根性の存在を感じていた。

だから、「与える」。「何かある」ことを信じて。それが真の信仰だと感じたから。感じずにはいられなかったから。それが「イエスであるところのもの」だったから。

能力は持っているだけでは意味がない。発揮できなければただの自己満足に過ぎないのだ。
――「頭のいい人が成功できるかどうかの境目

能力は持っていなくても意味があるんだよ。発揮できなくても、貴方が幸せなら、みんな幸せなんだよ。意味があっても、意味が無くても、貴方であれば、ただそれだけで、いいんだと思う。

だからこそ、「優秀な彼ら」は「無い能力」をも「発揮」する事ができた。能力があるから発揮できるんじゃない。発揮できる事で能力になる。他人の力をも自分の力にすることができる「自己肯定の姿勢」。

もし、「違い」があったとすれば、そこなんだと思う。彼らは自分の価値ソノモノを信じ、貴方は最後の最後で信じきれなかった。

たったソレダケだけど、大きな違い――。

俺曰く「人は自らの意志に抗う事は許されていない生物である」