永遠の箱庭

強請るな、勝ち獲れ
さすれば、与えられん

さらに付け加えると、「弱者男性に配慮せよ」と言っておきながら、在日の男性や部落出身の男性は含まないのか。この一点だけみても、赤木氏の言う「強者・弱者」といった概念が要するに「みんな、ボクのことをもっと構って」というだけのものでしかないことが分かる。


「戦争」なんてのは、ただのスケープゴートに過ぎない。つまり、「自分ではない誰かによる解決」が「自分の困難な状況」に対して「与えられる」必要がある、と彼は言っているだけだ。ただ、その解決が「戦争」という言葉になっただけで、戦争じたいに固執はしていない。というより、彼の使う「戦争という記号」には、我々が想像するであろう意味のどれでもないのだろう。彼はただ、望んでいるのだ――因果律という救済を…因果律からの救済を。

この解決案がいかに幼稚でいかに"mindless"かを、"mindful"な人達が説いても意味は無い。彼にとって、現状は"incapable shock"であり、「彼の行動が― passive であれ active であれ―現在の状況・結果に無影響」なのだ。つまり、彼は"powerless"であるゆえに"helpless"であり、絶望しているだけではなく、己の対処能力の欠如を―潜在能力の有無に関わらずに―確信すると同時に劣等感を抱いている――自己蔑視

だからこそ、「正論」で武装する。彼は自分の無価値感を埋めるために賛同を要求する。彼は自分が否定されるのが怖いから、反論できない根拠を利用する。反論されては困るのだ。批判されては困るのだ。批判も反論も異論も彼にとっては、彼の意見への提議ではなく、「彼そのもの」への批難であり、彼という価値の否定であるのだから!

だから、徹底して、他人に求めるのである。徹底して利用するのである。誰かにやってもらわないと自分には何も出来ないと彼は確信しているから。彼は誰かに否定される以前に彼によって否定されているのだから!

彼は自身の能力・現状を厳しく査定する。ゆえに確信してしまう。しかし、誰かが解決してくれることも一方で期待してもいる。厳しいくせに甘いという矛盾――葛藤。


彼は現状から"Jump Out"しようとは考えられない。ただ、"Sat Passively"することを選ぶ。


ソレはナゼか?


彼は学習してしまったのだ。自分が「セカイ」に対して無力である事を!そして、彼にとって「セカイ」は一つしかない。「セカイ」は「セカイ」であるはずで、「セカイ」は「世界」であるはずがない。「明日はサッカーをしよう」と「誰か」に言われたのなら、「明日はサッカーをする」べきであるのだ。「誰か」の気が変わって野球をしようと言われても、彼には理解できない――「サッカーをするべきなのに、どうして野球をしなければならない」のか?


彼の「セカイ」に文脈は存在しないのだ。「他者」など「彼のセカイ」のどこにも存在しないのだから――。「彼のセカイ」とは「ダイアローグ」ではなく、「モノローグ」なのだから――。されど、彼もまた「別のダイアローグ」に属してしまっている。ゆえに、彼は「彼のセカイ」を「ダイアローグ」と認識せざるを得ない。セカイはダイアローグであるはずなのにモノローグである。彼のセカイは引き裂かれる……。


彼にとって彼は「彼」でしかなく、「彼」という「レッテル」で永久に定義されている。完全なバランスの上で停滞していて、7:1の振動は存在しない。彼は自らを「生き」テいない。彼は「彼という記号」を記号たらしめるために「委棄」サレテいるのだ。自分という時間は流れずに「彼」という時間だけが停滞し続け、「彼」という時刻だけが刻まれ続ける。されど、時刻を告げる鐘は鳴っている――誰がために?


「対処能力の欠如」という「レッテル」ゆえに「誰か」に頼る――それは合理的である

「誰か」が救済する――それは必然である

「対処能力の欠如」という「レッテル」が強化される――それは確信された

「自己無価値感」を強める――エンドレスワルツ


だから、「戦争」は希望であるが、「解決」ではない。彼は常に「負けなければならない」のだから。
ゆえに、戦争で革命が起こり、彼が大富豪になったところで、彼のルサンチマンは決して晴らされない。

なぜなら、「彼」に「戦争」を起こすことが「出来るはずがない」のだから――

また、「誰か」が僕を救済してくれたんだ――アリガトウ僕のために
ありがとう、僕はまた、助かった――僕のためにアリガトウ

やっぱり、僕は「無力」だった――だけど僕は助かった
僕は惨めにも「生き残ってしまった」――だけど僕は嬉しいな


生き残る「価値」すらないのに生き残ってしまった――だけど死にたくない…それでも、もう生きるのも辛い


彼は死なないし生まれない。生きていないのだから時間は止まりもしないし、進みもしない。そもそも生きる価値も死ぬ価値も彼には無いのだ。時と刻との狭間で「永久に到達する事の無い未来」を際限なく希望しつづける夢・幻。そして、流れている時刻の中で到達するべき未来が到達しない事に苦しみつづける……。


だから、彼は行動しない。彼にとって、「変化が起こるための閾値」は無限である。ゆえに不可能。

彼の行動は決して未来という結果を迎えない。彼は因果から追放されたのだ。


彼は結果であり、結果の結果であり、結果の結果でしかない。
彼は原因でなく、原因の原因でもなく、原因の原因ですらない。


彼はなんなのだ?


彼は点と点を結ぶテン
彼は点と点が連なるテン


彼は始点であり終点である


テンとテンとを、点々と連ねても
テンとテンとを、転々と結んでも
ただ、点が残るのみ……


彼は、無いということで有ることすらデキ無い。


だが、在る。


夢・幻である彼はいくら頑張っても夢幻でしかない。無限という閾値を越えることは、無限なる夢幻をもってしても100%不可能。彼は、ただの夢・幻。とんだ無能力者。とんだデキレース。


だから、静かに座っていよう。なにもかもがオックウだ――彼は絶望することを選んだ。


彼に「失敗」は許されない。ゆえに100%の成功だけを求める。無駄なことはしない、オックウだから。無駄を嫌いながら無駄な生き方をしてしまう矛盾。

彼にとって成功率0%は最悪であり、成功率99%も最悪なのだ。

彼にとって失敗率20%が最良であっても、彼が求める最良は100%の最高。

最高だけが最良。

それが理想であり唯一の定義。

最高…それ以外の最良は、「いかなる文脈にも」存在しないのだ。


存在してはならないのだ!


彼は「定義」に生かされている。彼は「かたち」に生きている。

彼の「こころ」は「既に生きていない」されど「未だ死んでもない」。


だから、彼は人を殺せる。

彼は己を被害者と思う加害者なのだから。

だから、彼は人を殺せない。

彼は己が可愛いナルシストなのだから。

だから、彼は人を殺してもらう。

彼は人を殺す能力も、誰かに殺させる能力もないのだから。

だから、彼は人に死んでもらう。

彼は彼のために死んでくれる人を欲しているから。

だから、彼は人に殺してもらう。

彼は自殺する能力もないのだから。


だから、力が欲しい。


殺し殺させ殺されるための力が欲しい。


物語を終わらせ、始めさせるための力――
物語を始めさせ、終わらせるための力――



回りつづけるメリーゴーランドを終わらせるブザーを


誰か鳴らしてください


このままでは、他の子供たちが乗れません。

このままでは、回転木馬が壊れてしまいます。

だって、そうでしょ?誰も僕の言う事を「否定」することなんて「絶対に」できないでしょ?

僕の言う事は「100%正しい」はずですよね?


だから、木馬を止めてください。


僕を拒否しないでください。
僕を受け入れて下さい。
僕を見捨てないでください。


もし、僕を棄てるのなら――


僕は貴方を恨みます。
僕は貴方を呪います。


僕は貴方を殺し、僕も死にます。


なぜなら、僕は僕を愛してくれる「貴方」を愛していたのだから、「貴方」のいない「セカイ」なんて意味がありません。そんな意味なんて、辞書に定義されていません。


だから、僕は死ぬ「べき」なのです。「貴方」を殺した「から」、僕は殺人犯で「ある」、ゆえに――。


つまり、僕は愛する人のために死ぬのです。愛する「貴方」が「死んでしまったから」「僕も死ぬ」のです。死んでからも愛して下さい。死んでいても愛して下さい。愛してくれますよね?愛してくれると信じています。愛してくれると言って下さい。


どうして、「貴方」は何も言ってくれないのですか?


「貴方」の「愛している」という言葉さえあれば、僕は「死ぬ事ができる」のに……。僕は「愛している」からこそ、「貴方」に「変わらぬ愛」を与えたのに……。死が二人を分かつ後も愛し合うと「貴方」に誓ったのに、僕は約束したのに……。「貴方」が僕に「貴方」を愛する事を許してさえくれれば。


やっぱり、僕には、「貴方」を愛する事を許されるだけの価値も、「貴方」から愛されるだけの価値も、無かったのですね……。ごめんなさい。殺してしまってゴメンナサイ。

「貴方」を殺してしまった僕は死ななければなりません。それでも、僕は「貴方」を愛しています。それだけは分かって下さい。


「貴方」なら分かってくれますとも。人は愛ゆえに死すべきであり、愛ゆえに生きるべきだということを。


だから、僕は死すべき人なのです。生きるべき人を殺した僕は、たとえソレが愛ゆえの献身であるとしても、僕のうちなる「道徳」がソレを赦さないのです。だから愛しい「貴方」、どうか僕の愛を受け取って下さい。


皆さん、生まれてきてゴメンナサイ。(謝ったんだから赦して下さい。)

本当の救いはすぐそばに、手をのばせば届くところに――望みさえすれば自分の中にだって見つけられるのに、人はそれを見つめようとしない