Kill Me If You Can

わかるだろう、絹見艦長。米国に犯される前に、我々は舌を噛んでみせなければならんのだよ。

  • なぜ人を殺してはいけないのか? (シリーズ 道徳の系譜)』 ★★★ …ひえ〜恐ろしい本だよ!永井均はハードにロケンローしすぎ!!p18.「努力の足りない子を仕立て上げる教師という僧侶」・「能力がないではなく頑張れない子に仕立てる教師という僧侶」といったような記述にガクブルだぜ。僕は英語が大好きだけど、英語を教える事に魅力を感じないのは、これも理由の一つ。僕には恐ろしくて、覚悟が足りないよ、先生をやるには。小泉義之の「自殺と殺人における『余裕』の違い」というような指摘も興味深かった。レヴィナスなの?永井均宮台真司id:macskaの三人*1で「援助交際」について語らせたら面白いような気もする。
    • 小泉さんは問題を燻り出すセンスは面白いけど、説得力だと永井さんには及ばない気がする。
    • 永井均の「僧侶システム」は『これがニーチェだ (講談社現代新書)』(★★★★★)に詳しく書いてある。
    • http://anond.hatelabo.jp/20070131010646」・「http://anond.hatelabo.jp/20070131083126
      • ある意味「頑張れる子」として「教化」されてしまった人の憂鬱かな?「救済」を得てしまったからこそ「罪」に嫌悪してしまう。「罪」を知ってしまったからこそ、「救済」にすがってしまう。だけど、どこか、うそ臭い――「善なる嘘」を感じてしまった異端の「教徒」。
      • だから「僧侶」なんか「殺しちまえばいい」んだよ。小泉義之の「物質としてではなく、存在としての抹殺法はいくつもある」というような方法論は、なかなか賢明だと思う。ただ、その論法に妙なルサンチマン臭さを感じるのが敏感肌のルサンチマンなところw
      • ちなみに僕はポエム君もナルシスちゃんも大好きです♪


僕は「どうして弱さを知ることが強さになるのか」分からなかった。『ブラックジャックによろしく』の齋藤は赤城さんに、そのように形容される男だった。だけど、彼女の言葉に納得できた読者はどれだけいたんだろうか?彼は「弱い」んじゃなくて「情けない」だけだった。「弱いくせに強い」んじゃなくて「情けないくせに強い」奴にしか見えなかった。


「弱い事は強い事」…なんか分かった気がするようで騙されている気がしてた。「強さを誇示することが、ある種の弱さ」であることは分かりやすい。「弱い人々は意外と狡猾で強い」ということも、まだ分かる。

でも、何かが違う気がした。「窮鼠が猫を噛む」ような強さではない、もっと気高い強さが「弱い事は強い事」で提示される「強さ」だという確信があった。


「必要に迫られた強さ」なんかではない「純粋な強さ」。無駄に強く、無闇に強く、無節操に強くあってしまう無邪気な強さ――。


「弱さを知らない強さは脆弱である」ことは天上ウテナを知ったときに理解できた。その一方、「強さに堪えられない弱さは頑強である」というのは姫宮アンシーのことだと合点いった。


そういえば、『ジョジョの奇妙な冒険』は「人間賛歌」だと言われている。たしかに、ビジュアル以外でもルネッサンスしていると思う。

僕は「三部」と「四部」がなんとなく好き。恐怖を花京院が乗り越える、ポルナレフがディオに立ち向かう。弱かった彼等が強さを得る瞬間に僕は感動した気がする。広瀬康一のようなチビジャリが「裏遊戯」顔負けの不良具合に変貌してしまう過程も清々しかった。噴上裕也もイカスし、形兆の兄貴っぷりにも惚れた!

「五部」になって主人公たちは犯罪者になった。「マフィア」だ。4部にとって「弱さに隠れた恐威」が「仮想敵」ならば、5部にとっては「強さに隠した恐怖」が「仮想敵」なのかもしれない。でも、ジョルノ達は「悪」とレッテルを貼られる人種だろうけど、「悪」ではなかった。

「六部」になって、とうとうマジで「悪」な奴が主人公になった。受刑者。しかも「人殺し」。だけど、僕はそんな人間失格アナスイが他の誰よりも好きだ。彼は歴代の主人公達の中でも極端に心の弱い奴だったのかもしれない。だけど、愛すべき人を知った彼は強かった。救い様のないくらいに――。だからこそ、『救済』が必要だった。救い様のない人間失格でも、人間未満のプランクトンでも、「覚悟」があれば「救われる」と純粋に信じていたから。「覚悟」を知るだけの「知性」があれば、「救いがある」と信じたいから。

「七部」になり、終に登場――弱さを知る惨めで無力な勝者達。車椅子の主人公と処刑執行人。社会の弱さの象徴である「彼ら」にどんな「運命」が待ちうけているのかは定かではない。でも、きっと、この「弱さ」の中にも「強さ」を見い出してくるのが荒木飛呂彦なんだと思う。

でも、結局、勝者と敗者。何が違ったのだろう。精神の高潔さ?覚悟の差異?運命のキマグレ?意志の強弱?


ワカラナイ――。


ミス・バイオレットは「人の足を止めるのは絶望ではなく諦め、人の足を動かすのは希望ではなく意志」と言う。じゃあ、どうやれば「意志」を持ちつづける事ができるんだろう。

きっと「勇気」なのかもしれない。どんなに純粋で、どれほど気高く、いかほど慈愛に満ちていても、「立ち向かう勇気」がなければヤカマシイだけなのかもしれない。

「人を辞めない勇気」「恐怖を乗り越える勇気」「運命に負けても屈しない勇気」「安息を怠惰に貪らない勇気」「救済を敢えて捨てる勇気」「弱さに飲み込まれない強き勇気」「革命を恐れない勇気」「革命を成し遂げる勇気」


人を殺すべきときに殺す勇気


人を殺すべきときに殺さない勇気


人を殺さずに殺す知恵をもつ勇気


どこかニセモノで、結局イツワリで、ホンモノなんてどこにもないのかもしれないけど、そんな不確かなモノを受け入れるための知恵と、平静さと、勇気――そんな「真実」を形作って生きたい。

神様、自分では変えられないことを受け入れる平静さと、
自分に変えられることは変える勇気と、
そしてそのちがいがわかるだけの知恵をお与えください。

*1:敬称略