論理以上の方法論。論理囲繞の魔法論。

「山形さんと弾さんとbewaadさんとの議論のズレの原因は、弾さんの『ディシジョンメーカー』的な立場によるものだ」とfromdusktildawnさんは指摘しています。つまり、「実際の生活者である僕たちは、今後、具体的にどのような方針で、どのように行動すればいいのか?」(@fromdusktildawnさん)という問題への≪結論≫を導くための≪コンセプト思考≫を、弾さんはしているのではないでしょうか。

その≪コンセプト思考≫とは「論理思考力」の向こうにある「マトリックス設定力」に根ざした思考法なのです。この≪コンセプト思考≫の特徴は「結論ありき」ということに尽きます。≪論理思考≫によって委細漏らさずに事柄を列挙・観察・分類・分析した客観的データを駆使し、そして望んでいる結論を炙り出す。これが≪コンセプト思考≫の考え方となります。

この「結論ありき」という語句は実に非科学的ニュアンスを含んでいて、トンデモとの親和性が高い。されど、ここで言う「結論ありき」というのは「反証可能性をもった主観的問題設定」と解釈して下さい。つまり、結論へ至るデータの使い方の正しさは主観によって保証されておらず、現実における失敗において反証されます。別の言い方をすれば「結論から逆算された思考」ではなく「結論へ辿り着くための思考錯誤」、「売りたいものを売る」のではなく「売れるものを売る」といったニュアンスでしょうか……。*1

まず、関連エントリーの引用列挙――

ふぉーりん・あとにーの憂鬱: 「素人お断り」?

論者が必要としているのは、自分の主張を支えるのに都合のいい「権威」であって、本当にその学問が蓄積してきたものや到達点に興味があるわけではない・・・これが、私が感じるところの「水からの伝言」と普通の素人談義の違いです。

http://bewaad.com/20061102.html

結局、成長しなくちゃと思うから低成長にあせるのであり、成長しなくて当然だという前提に立てば安らかでいられると。根本的な誤りは、(おそらくは)成長しない=現状維持だという認識で、成長しない=退歩というのが正確なところです。

404 Blog Not Found:経済2.0=複素経済学への道程

少なくとも、人々の営みという複雑で豊穣な世界を、「経済成長」の一言でくくるのは傲慢以外の何者でもない。

少なくとも、もう一本の軸がいる。私はそれを「虚の経済」と呼んでいる。

404 Blog Not Found:専門家の傲慢、素人の怠慢

むしろ私が重きを置くのは、「どう議論しているか」よりも「何を議論しているか」です。議論のよしあしも、実はこれが八割なのではないかと思っています。どんなに減点しようのない議論でも、はじめの議題がよくなければやはりいい議論とは言えない。

経済成長は、ぼくたちの努力や成長の総和でしかない。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

ぼく自身、来年までには少しは成長するだろう。あなたも成長するだろう。今日ぼくが出会った人すべてが、よほどの不運に見舞われない限り、まちがいなく何らかの形で成長をとげることだろう――少なくとも、成長するだけの潜在力を持っていることだろう。それを考えたとき、経済成長しなくていいとか、してはいけないとかいう連中の物言いは、噴飯もののアホダラ経でしかない。よほどとんでもない環境にでも置かれない限り、だまってたって人はあれこれ工夫をするし成長しちゃうし、みんながそれをやったら、経済だって当然のように成長するしかないんだもの。それが起こらない、という状況のほうがきわめて不自然だからこそ、人は低成長を憂慮しなきゃいけないんだよ。経済成長を願うのは、人の成長能力を信じ、そしてその潜在力を思い切り発揮してくれることを願う、信頼と希望の表明でもある。それが信じられないというならご愁傷さま。いや、ぼくだってそれが理解できない訳じゃない。セリーヌ読むとそんな気分になるし、しばらく前は ATR をきいて "Destrooooy!!" とか叫んでいたことでもあるし。でもぼくは反経済成長論者が本気でそこまで気骨あるペシミズムを本気で抱いているとはとても思えないのだ。

404 Blog Not Found:経済学からの伝言

それでもなお、経済学者たちは一つ大事なことを見落としているのではないかと感じざるを得ないのだ。それは、「売っても減らないものをどう扱うか」という問題に、「売って減るようにしてから売る」という答しか今のところ用意されていない--ように見える--ことだ。

はてなグループ

学者や官僚にとっては、客観的な指標によって計測可能な「経済」であることが、最も重要なことなんです。

それが人文科学系アカデミズムというものの本質なんです。


この意味において、山形氏やbewaad氏の言っていることは、そのロジックの核心において「正しい」。


一方で、弾氏のスタンスは、ディシジョンメーカーなんです。

すなわち、「実際の生活者である僕たちは、今後、具体的にどのような方針で、どのように行動すればいいのか?」

ということを問題としているわけです。

その意味で、弾氏の問題意識の核心は、極めて「正しい」。


これは、経営者と計量経済学者の議論がかみ合わないときの、ありがちなパターンです。

そもそも、「マトリックス設定力」とは何かといえば、要は「表によるマーケティング」です。ほら、みんな好きでしょ?表を使って「〜系」を議論したり、芸能人のポジションを分析して誰と誰は被ってるとかさ。この表を「いかに描くか?」即ち「何を軸に選ぶか?」が、「あるゴール」を導くのに必要な表―マトリックス―を得るのに重要になるわけさ。


では、ディシジョンメーカーである弾さんが描いている「表」に使われている軸はなにか?


それは『実』・『虚』という縦横の二軸であり、その表は「『みなが納得いく社会』・『万人の幸福』というゴール」を実現するためのロードマップを描いている。

そして、『実』とは「従来のモノの経済学」であり、『虚』とは「未踏の情報の経済学」と言えるのではないだろうか?もちろん、従来の経済学だって「情報」は扱ってますよ。そういった意味では「従来の経済学」も虚をあつかえる軸であるわけです。でも、この実軸が扱えるのは、あくまで「論理値」であり、論理以上の≪値≫は扱えない。

その≪値≫を可視化するために選ばれた軸が、虚軸である「未踏の情報の経済学」。この軸が扱う値は「情報」という目に見えない不確かだけど確かに或るモノ。それにはオリジナルもコピーもない、全てが真で全てが偽、どれもが幻のような現実――シミュラークル。そんな「異常値」を扱うのが虚軸。

論理×異常の≪値≫。机上の理論とトンデモな現実が織り成す魔法狸論――トンデモロジカル。そのアンリアルなマジカルこそが、弾さんのもとめる≪未踏の値≫―「『みなが納得いく社会』・『万人の幸福』というゴール」の実現―を得るためのリアルな方法論であり、アリエナイ現実を実現するためのインスピレーションなわけです。嗚呼、なんて撞着止揚

ですので、弾さんは決して論理を無視した魔法とかいうトンデモを振りかざしているわけではなく、論理に根ざし、論理という言葉で詠唱された魔法を遣い、みんなの夢を叶える為に現実に立ち向かう魔法使いDAN!なのです!!!*2

何が君の幸せ、何をしてよろこぶ?
わからないまま終わる、そんなのはいやだ。

*1:このパラグラフ…また、懲りずもせずに追記です……。ちょっと勘違いされちゃうかな、と思ったので。

*2:ですので、「役に立たない机上の学問を排斥する、現実に役立つ実学原理主義」といったものではないんです。むしろ「学問によって蓄えられた仕様設計を如何に現実に実装しようか」といった方法を志向する態度であり、べき論のように硬直した思考態度ではない、と思うのです。