隣の子が死んだら泣ける?

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「死ね」「うそつき」などと生徒をののしっていたほか、自殺後も学校で「せいせいした」などと口にしていたことが二十一日、複数の関係者の証言で分かった。

 証言によると、いじめは主に特定のグループによって繰り返されていた。その中の一人は一年前から被害生徒を「死ね」「うそつき」などと罵倒(ばとう)。「近寄らんめえよ(近寄らないがいいよ)」と、周囲に無視を呼び掛けることもあったという。生徒が自殺した十一日には、別のメンバーが教室で生徒の机をたたき、「消えろ」と大声でののしった。

 また、自殺後も「せいせいした」「別にあいつがおらんでも、何も変わらんもんね」「おれ、のろわれるかもしれん」などと校内で友人に話したほか、十三日の通夜の席では、笑いながらひつぎの中を何度ものぞき込む姿も目撃されている。

 メンバーたちは二十一日までに、入れ替わり生徒宅を訪れ遺族に謝罪。その際、これらの行為の一部を認め「(自分も同じ立場だったら)死にたくなる」などと答えた。

僕は泣けなかった。隣の子じゃなかった。だけど、何年も一緒の学校に通ってた。でも結局、泣くことなんてできなかった。更に言えば、僕は一生ゆるされない一言だって口走った。何か言わなきゃいけなかった。何か慰めの言葉が必要だった。だから、言った。ふと思ってしまった、許されない一言を。

本心というけれど、人の心はそんなに安定したものじゃない。口から出される言葉の数万分の一の長さで、ほんの軽いはずみで思いついてしまう言葉未満の泡沫。それは本心と言えるほど重いものではないかもしれないけど、思ってしまった本心の心情、紡いでしまった本心からの言葉。言葉にすることによって、すがってしまった刹那の本心。

だけど、悲しくないわけじゃない。嬉しいわけでもない。まして愉快であるはずがない。結局、分からなかった。自分が何を感じていたのか。「実感が湧かない」と遺族は言葉を残す。僕は「人なんて死んでも世界は普通に回っていく」程度の認識でいた。それは薄情だけど真実だった。だけど、彼らは薄情だったわけじゃない。無意識の領域において、何を感じるべきか感じる事ができない、とでも言うべきだろうか……。だから、意識に頼る。べき論にすがりつく。

みんな、いじめっ子達をヒトデナシと言うけれど、あなただって大概ヒトデナシ。状況に埋め込まれた「社会」で、正常でいられる自信があるのだろうか。自分の感情を完全にコントロールできるような人外の自制心を所持しているとでもいうのだろうか。なんて傲慢。ひどい偽善。

僕は人を無視していじめたこともある。無視しろという言葉を無視して仲良くしてたこともある。僕はヒトデナシ?それとも義侠の徒?

僕はきっと友達に恵まれていた。いじめられっこを庇うといじめられるなんて思ったことは無かった。それは長い間、同じ学校に通っていたから、という理由だけかもしれない。「社会」を壊す事が出来ない弱さゆえの幸運だったのかもしれない。優しくない出来事はいっぱいあったけど、信頼は常にどこかにあった。

殴り合いのケンカだってした。体格差を恐怖に感じた事なんて無かった。だって、友達だから。相手に殺される心配なんて無かったから。それが信頼だった。

みんな、優しい奴らだった。僕は運良くいじめられなかった。だけど、友達の何気ない優しさに、いちばん傷つけられたのも事実。悲しかったけど、僕は恨まなかった。それが優しさゆえのものだと知っていたから。

だけど、うそつきは嫌われる。ウソツキは誰かれ構わずみんなに嫌われた。偽善は子供社会における最悪の罪科。嘘を言う奴は信頼されない。それが社会の掟。

数年後、祖父が亡くなった。僕は、また泣くことができなかった。後悔したくなかったのに、また同じ過ちを犯してしまった――話が出来る最後のチャンスを、また逸してしまった。棺桶に祖父のなじみの品を入れ、最後にもう一度、祖父に触る。祖父の存在の深遠から滲み出る氷のような死の冷気を掌に感じつつも、僕は泣くことが出来なかった。全てが恐ろしかった。現前する愛しき人の死。その死を歎く事が出来ない自分の薄情さ。嫌悪することすらできなかった。

お経が響く中、祖父の知り合いや近所の人達に囲まれていた。僕は何時の間にか泣いていた。涙が止まらなかった。僕は祖父に救われた気がした。