いじめ程度で自殺するな!

問題は、このように顕然化し、親が出てくるような事案ではない。いじめられている人は、多くは自分がいじめられている事実を親にも教師にも報せようとしない。だから教師による対処が遅れがちになる。なぜ言わないのか。それはそこが彼にとっての「社会」だからだ。だからいじめられている方もいじめを含む人間関係を清算しようとは思わない。(塾講師のつぶやき - 塾でのいじめ

「学校だけが、社会ではない」 ことを伝達することが、自殺を防ぐことになるとおもうんだけど、「学校だけが社会である」ことをテーゼとする公立義務教育では難しいだろうな。(2006-10-21

学校だけが社会じゃない。今だけが全てじゃない。今、状況がいかに絶望的なものに思われても、いかに終わりの無いように思われても、いかに堪えがたくても、それは一時的なものに過ぎない。諸行無常。万物は流転する。変わらないものは無い。晴れない雨は無い。

言い方はいろいろあれど、自殺の最大の原因は「現状の過大評価」、と本で読んだ中学生の僕。心理学用語でなんて言うんだっけ、こーいう認識様式を?

短気は損気。明日は天気。

まぁ、何の本だったかは忘れてしまったけど、学級文庫で読んだトンチ系児童書の一節だったと思う。短気は損気。明日は天気。とりあえず、現状を過小評価してみる。とりあえず、明日まで我慢する。そうすると、うまくいく。意外なほど堪えることが出来る。忘れてしまうことが出来る。

こんなことを言うと、「マイナス思考で悪い方へ考えるのは悪いんだな……」と自己内省の強い人は思うはず。だけど、それでいいんだよ。僕もマイナス思考野郎。なんでもかんでも楽観で通そうとするなんて恐ろしくて出来ない。すべての可能性をできるだけ想定した後に、楽観的なものを選択する。これが僕の理想。

今マイナスでも、明日はプラスになる節操の無さが人間の感情。泣きたいだけ泣けば、泣くための涙も、泣くだけの気力も枯れてしまうから安心さ。そのうち泣く気力もまた湧いてくる。躁鬱・無感を循環させるのが人間的で不健康に健康な感情の迸出周期。でも、どんな状態でも最低限やるべき事、つまりは「生きること」だけはやり続ける。

神に定められた悲惨な運命でも、全戦全敗の独狐求勝だとしても、せめて一撃でも神にくらわしてやる明日のために、踏みとどまらなければならない≪今≫を生きる。

つまり、僕は死ぬのが怖いんだ。自殺する勇気が無いヘタレ。だって、どんなに不幸でも、いつか読みたい本がある。いつか行きたい場所がある。いつか聴きたい音楽がある。いつか会いたい人がいる。いつか見たい映画がある。いつか知りたい真理がある。何時かやりたいことが多くて、死ぬのが勿体無い。せっかく日本に生まれる事が出来た幸運を、捨ててしまうのが勿体無い。

既に終わってしまった酷い人生かもしれない。終わっているのに始まってしまった地獄かもしれない。でも、冷静に考えて、多くの人が思うほど生き地獄ってのは生易しくないんだろう。所詮は過大評価。残念ながら、なんとかなっちゃうようです、ディアフレンド

十万回に一回しか起きないことは一回目に起きるのさ。一番最初に会った相手は百万人に一人の逸材なのさ。確率は低いほどに起きやすい。《統計》? くだらないくだらない……奇跡なんて一山いくらの二級品だってのにさ