感想文の存在意義

読書感想文を一律に課すのをやめよ 『頭がよくなる必殺!読書術』『マンガの社会学』『わが子に教える作文教室』にもふれて

読書感想文か……。僕は井上夢人の『パワーオフ』で感想文を書きましたが、何か?w そもそも、本である必要ってあるの?映画だって、アニメだって、ドラマだって『読める』のにね。だいたい、「先生も書けよ、手本見せろよ!」っつーこんだよなぁ。

同じ最優秀でもこうも違うのか。後者の51回最優秀の方が迫力がある。一方、50回の受賞作品はオチに説得力がない。

だが交配がバラの潜在的な成分を引き出す手段であるのに対して、遺伝子組み換えは他の植物が持つ遺伝子をバラに取り込むというものであり、やはり両者は相容れないものではないだろうか。

なぜ遺伝子操作が「美しくない」のか説明できていないから、最後の内面化も浮いてしまう。

51回は「暗いニュースばかりに目を奪われ、無責任に批判するか悲観的になるしかできなかった自分が恥ずかしい。」というのが唐突で何のことを言っているのか意味不明なわけだけれども、ものつくりとその精神が最後の内面化にスムーズに繋がっている気がする。

ただ、51回の方が迫力があるように思えるのは形容の仕方が巧いからだろうな。最後のオチ以外では50回の方が段落の繋がりに無駄が無い。逆に、51回の人は枕詞がお好きなようで、脈絡の無い一文で段落導入という書き方が散見される。

と言うわけで、説得しきれなかった小論文もどきの50回と技法の勝利の51回なかんじなんですかね?

翻って、感想文未満ばかりを書き散らしている自分に絶望した!w でもさ、小論文っぽく書くとさアイデアを削らないといけないし、感想文っぽくまとめるのも面倒なんだよね……。思ったことだけ全て網羅の連作短編箇条書き!みたいな感じの方が書いてて楽なんだよな。(そりゃぁ、説得する必要も構成を考える必要も無いんだから楽に決まってるけどさ……。)