「意味が通じないように設計された英文」を書きたい

BBSに書こうと思ったが、推敲も議論もメンドイし、この類の方向性での話を通じさせることが僕にはできないと学習済みなので、ここでヘタレてみる。

追記したい部分もあるので、返信という枠を外しして、拡張する予定…は未定で確定にあらず、みたいな。

関係詞が省略されること自体への意味も知りたいけど、別の話

The State Department's efforts over the past year to negotiate the nuclear disarmament of that charter "axis of evil" member has deteriorated into something very like the status quo the Bush administration repudiated when it first took office.

――Jackson Diehl - A Test That's Sure to Come

僕は「法」について無知なので charter や charter member の正統な使い方も分かりません。また、著者が用語を正統に使えているのか、または正統であると主観的に主張しているだけなのか、その辺は分かりません。

ですので、英語の書き方という部分だけに矮小化して、面白そうだと思った部分だけ、かなり誤読してると思いますが、書かせてもらいます。

むしろ、いつのも冠詞中心の英文読解法モドキなので、通時的な読解はできず、共時的に限定できる部分だけ読んでみる――というお話です。

"that charter" :由来は a charter (member) なのか the charter なのか

「ある冠詞」がついている単語、その単語の元の姿を決めるのは難しい場合がある。そして、そんなものは決めなくても問題が無い場合もある。*1つまりは、偽問題なのだろう。もちろん、ちゃんと同定できる場合もある。その境界線をどうやれば定めることができるのか?

二重引用符の意味スコープが、引用符という形式の外側まで拡大される連鎖


涅槃さんの解釈で興味深いと思った点は、<"axis of evil" member>の扱い方です。"that charter"に追叙するようなかんじで、the movie "Star Wars" のように、同格*2っぽく扱う。更に member が合わさって、"that charter-member"になる。しかし、これは that charter -> "axis of evil" -> member という「連鎖」を経たものであり、"charter member"に"axis of evil"が挿入(付加)されたものではない。

形式的には " + " のようなかんじ。

ある意味では、"axis of evil"の二重引用符という形式が、意味的には member まで拡大され、"axis-of-evil-member"のような意味になっているようで、面白い書き方なのではないかと思いました。

もちろん、涅槃さんのイメージは、「member 方向」ではなく、「charter 方向」への意味の拡大かもしれませんが。個人的には、それらはいずれにせよ「集合と捉えて意味を拡大する」方法であり、「多田正行的な解釈方法」だと理解しています。そして、涅槃さんの方法論のいちばん面白い部分は、『意味を連鎖させて重層化する』方法だと思います。前者は「粘土をこねる」ような方法、後者は『ジェンガを抜いてを積む』ような方法。ジェンガは巻き戻せるけど、粘土は無理。

「意味」と「意味を矛盾させる形式」は並存できる〜意味が確定される一歩手前


結局、涅槃さんの構文解釈で問題にされているのは、あくまで「限定詞(that)の照応形式に対する妥当性だけ」であると理解しました。そして、この方法は「charter とは、本来的にはウンヌンである」という部分―つまりは小原さん的で通時的な意味解釈―を留保しても成り立てる解釈方法だと、僕は理解しました。個人的には、冠詞だけを追って、形式からだけで共時的に解釈してみる方法を練習中なので、このような方法は好きです。

それに、規範文法から涅槃さんのやり方を考えると、charter と "axis of evil" が結果的にそれぞれ形容詞(的)となり、member がコアの名詞(一次語であり、thatが「最終的に」係る単語)になると思うので、「"a charter member"という慣用句が意味的にはコアになる」という解釈可能性自体は残されていると思います。


もちろん、読み下す時点では、that は charter に形式上は係らなければ涅槃さんのような解釈はできないと思います。が、最終的に意味を考える時点において、that の意味上の係り先は member に修正したほうが規範文法と整合するとも思います。その点において、形式と意味とで限定詞の係り先が変わるので、 を今回のアナロジーとして適応するのは不十分な部分もあるのではないかと思います。(というブロックで考えるという意味だったのかもしれませんが……。)*3


つまり、「"a charter member" に "axis of evil" が飛び込んでいる」というような「形式理解」をしなくても、このような「意味解釈」をする以前の部分で、涅槃さん解釈方法は止まっているのだろうし、その先まで解釈する(「設立会員」とか)かは、また別の判断だと思います。

個人的には、islander さんや小原さんの言うように"charter member" だと明示してるのか、eager lerner さんの言うように暗示してるのか判断不能です。ネイティヴの先生は、「暗示」派なんでしょう。

ただ、 そういったニュアンスが、that という指示代名詞の「メタ情報」から判断できうることなのか、"charter member"という句が「敢えて破壊(dislocated)されている」ことが理由なのか、それとも「文脈」や「背景的な事実」から判断したのか、それぞれの比重は不明ですね。いずれにせよ、修辞法だと理解はしています。


あと、涅槃さんの解釈方法は、前述したように、多田正行の「集合的な解釈方法」に<時間軸>を追加した発展形だと思うんです。多田の方法論は修辞学からの援用かもしれないんですが、彼のやり方に冠詞(限定詞)読解を追加すれば、涅槃さんのような解釈方法に潜む(?)「連鎖的に名詞を理解する」方向*4に繋がるような気もします。というか、そもそもとして、僕が今回の解釈論議を理解し切れていない可能性も高いんですがw

個人的には、「同格」の拡大というか、意味論的に再解釈するというか。「情報濃度の差」*5だけが同格を成り立たせているのか?それだけではなく、意味上の主語と同じように、主説との一致の有無を基点に、更に意味上の主語の有無―計4パターン―を決められるように、「themeとの繋がり」*6も関係しているのではないか?と、妄想してりも。

選択の必然性を規定するルール

「英文の構造が変われば、それにともなって何かが変わる」――

少なくとも、僕は、AとBが違うこと自体にはあまり興味がない。なぜ、AとBが違わなければならず、なぜ、AかBが選ばれたのか――そのメタ的な選択基準が知りた
い。違うこと自体は大した問題じゃない。違い自体は、発見した時点で、もう問題ではない。

「AとBは違う」だけじゃ、書き手が、文型の選択において採用したルールを知ることはできない。

"that charter"は偽問題?:その原因が無くとも、その原因が導く結果は生じれる

islander さんのTad さんへの回答は、「that charter とはどういう意味?」という疑問が偽問題であり、「a charter member という原義から that charter member へと変化した」と解釈すれば、そんな疑問はそもそも成り立たない、ということだと勝手に解釈しました。

この通時的な解釈への疑問として、eager lerner さんの "charter member" は、「形」というか「残滓」を残しているだけで「明示」はしていない。つまりは、レトリックなんじゃないのか?という視点も興味深かったです。僕自身は、冠詞中心にレトリックを勉強(しようと?)しているんですが、慣用句を「モジル」というのは日本語でも良くやりますよね。

ただ、今回のモジリは、「原型の方が意味の本体」みたいですけどね。そういえば、「前方照応不可能なのに、後方照応的な説明も追叙されず、言語照応でも当然ない」という the の使い方も、小説などではあるようです。今回の that が、このような例だとは思いませんが、レトリックは大変です。^^;

他にも、原型なしに不定冠詞を使い続けることで、不定冠詞に同定機能を持たせてしまえるレトリックもあるようですが……。

the status quo と 固有名詞化:冠詞がついているからといって、照応能力が残っているとは限らない


奇策な人さんの、「完了時制 -> something(現在) -> the status quo(過去)」 という対比的な解釈法は汎用性があると思いました。小原さんの言うように意味がおかしくなるような解釈結果もいろいろとあると思うんですが、something とかの不定冠詞系がクッションとして(敢えて)使うわれること、それ自体のメタ的な意味ってなんなんだろうな?と、考えたりしているので、いろいろと参考になりました。

この辺の理解(意味が通じない・論理的に変であること自体に意味がある可能性)は、関係詞と分詞による後置修飾のメタ的なニュアンスの違いが、イェスペルセンの言うような「形容詞―名詞(実詞)」の違いにも繋がるかもしれないし、小原さんの 「the status quo が先行詞」という解釈を補強するようなものになるかもしれません。そんな違いが本当にあるのかは不明ですが……。

個人的には、 "the status quo"には「状態性」というような無時間的な意味だけではなく、「the things the way they "presently" are」というような「現在性」も裏に強くもっている、一種の「固有名詞」なんじゃないかと、googleで色々と検索してみると思えます。

status quo は「現在」で固定?:照応も修飾も受け付けない絶対的な意味の存在への可能性


つまり、たとえ the status quo が先行詞であっても、「現在」という「時間」の部分は関係詞の時制に影響されないのではないか?と思うんです。

ですので、status quo が「現在」で固定なら、先行詞はどっちでもいいのかな――

1. 「something = ブッシュ政権発足当時〜」 ≒ 「the status quo という現在の状況」

2. 「something = 現在」 ≒ 「the status quo という現在の状況 = ブッシュ政権発足当時は拒否してた状況」

3. 「something = 現在」 ≒ 「the status quo = ブッシュ政権発足当時は・も拒否してた過去の状況」


Tad さんと奇策な人さんのハイブリッドで、先行詞は the status quo で「現在の状況」(2番)。そして、それは過去においてブッシュが否定してた状況。それほどに現状は悪化してしまった。

つまり、「現在の状況」は「過去より、さらに後ろ(過去)へ後退した状況」という仮定法的なレトリックで、完了形のニュアンス条件をクリアし、わざわざ something が必要だった部分も同時にクリアしているのではないか?という解釈です。

検索した限りでは、the status quo が「現在」以外の時間を担える例が見つからなかったので、すっきりしないといえばしない冗長な理路かもしれませんが、そこがレトリックでしょ?みたいなかんじで。 ;-)

ダイレクトに the status quo とやったら「"筆者の意味"と"読者の意味"が同定されてしまう」ってのが嫌だから、「something」という同定できない名詞が必要だったのではないでしょうか?the status quo は慣用句でしょうけど、ちゃんと定冠詞がついてますし…もちろん、固有名詞化してれば同定機能は失われるんでしょうけど……something を使ってしまえば、同定機能をもっと遮断できるのでは?

ただ、「遮断できると何が良いのか?」は分かりません・・・・・・課題ですね。

status quo, another one:「論理的に変」な論理を論理的に書く方法

あと、小原さんの「意味が通らない」という説明は、たしかにそうなんですが、Tad さんのような解釈で回避できる問題だとも思えます。つまりは、仮定法的に「過去においてですらありえなかった状況が、現在の状況」みたいなかんじで。

そして、<「過去において未来である現在」が過去の段階で問題になれるのは矛盾する>という小原さんの指摘(でしたっけ?)は、むしろ、大津栄一郎が『英語の感覚』で指摘するような「時間が過去に向かって流れる」、即ち「過去=未来」であるという前提に立てば、<矛盾>にならないし、逆に英語の特性を強く表してしまっている可能性もある。過去も未来も現在という頂から流れ下っていく方向という点では同等なのかもしれません。

また、たとえ「過去=未来=同じ下流」というような時間観が妥当でなくても、小原さんの言うようなパラドックスは、問題にならないとも思います。

意味からではなく連鎖から〜上書きされた下書きを透視する


「意味から考えて意味に整合性をつける」のは裏技と言うか、たとえ答えがあっていても、僕のような無教養野郎には安定感の無いやり方です。そこにも関連しているのですが、「主節と従属節で共有されている先行詞が、果たして『同じ意味』までも共有しているのだろうか?」という疑問があるんです。今回の例は tense と time の違いとか絡みそうだし、something というクッションがあるからこそ、小原さんが言うような矛盾を回避できたりもしてるんじゃないか?って部分もある気がします。

something は目的語。like the status quo は修飾語で、the status quo は超広義に同格的と言えるとする。次に、先行詞 the status quo は the Bush... の目的語。この時、同格の the status quo と 目的語の the status quo は、意味が同じでも何か違うんじゃないのか?存在論的な差があるのではないのか?

もちろん、something が先行詞でも、僕は構いません。the status quo は「相対的な現在ではない」という仮定が無効になれば、something の方が良さそうなぐらいです。むしろ、そんな仮定を入れるくらいなら something でいいだろ?って気もするんですが、文末重点と文末焦点の違いを考えると、後発の単語にぶら下がらせる方が、「英文法学者のオットー・イェスペルセン的な結晶=名詞(実詞)存在の様態]」という観点*7から考えると、流れが良い気がするんです。

そもそも、"something like the status quo" を分割する必要なんてあるのか?分けることなんてできるのか?って疑問もあるんです。たしかに "the A of the status quo which..." な文章はあるようだし、先行詞はAとするのが妥当だと思います。

でも、「句としてみる」というよりは、『連鎖としてみる』。前者は多田正行的で、後者はイェスペルセン的なような気がするんです。「フラットな関係」として句を見るのではなく、『段差のある階段』として句を見る。プログラミング言語で言えば、「クラス―インスタンス」の関係に似ているような気がするんですが…。「急須に入ってるお茶―湯飲みに入れられたお茶」の違いと言えばいいのか…。確かに同じお茶だけど、違いますよね?

"something like" とか one of the girls の "one" とか、こういう「不定冠詞系のクッション」って、「お茶を湯飲みに入れる」って手順を踏んでるんじゃないかって気がするんです。

時間圧縮と時間解凍―創作時間と受容時間

論理空間という「時間差という概念が無いレイヤー」で考えると、「something = the status quo = the Bush...」であるとすると意味的に矛盾してしまうかもしれない。でも、文章に表れてくる単語の順番には時間差がある。タイポグラフィーだか文学理論的には「差」なんて無いのかもしれないけど、時間差への理解は直読直解にとっても重要だと思うし、だからこそ限定詞の有無とかにも、メタ的な部分で違いがあるんじゃないかって気がするんです。たとえ最終的には上書きされてしまうニュアンスであっても、そのメタ的なニュアンスって捨てちゃっていいの?って気がするんです。

むしろ、小原さんの指摘するような「意味の矛盾」には、「時間が圧縮されている」という前提がある気がします。そして、僕にはそれが規範文法の限界だと思うんです。涅槃さんが、規範文法の枠組みではこう言うしかないと言わざるを得ないこと、その重要性。

時間は、「粘土」ではなく『ジェンガ』なのではないのか?


伊藤和夫は、時間を圧縮させるプロトコルを提示しようとしてたのではないか?多田正行は、圧縮されているコードを読み取ろうとしたのではないか?山口俊治は、時間を圧縮させようとしたのではないか?

英語学習法的には、伊藤和夫の英文解釈の発展が多田正行なんだと思う。でも、英文読解の世界観としては、多田正行こそが先行していなければならない。そして、プロトコルはメタであり、時間はもっと自由に圧縮させることができるという山口の方向へ辿り着く。

冠詞というリプレイ

受験英語は、圧縮だけを見てきたのかもしれない。むしろ、解凍の方を、この絵画はどの手順で描かれてきたかリプレイする読解が必要なのではないか?そして、リプレイの鍵は冠詞なのではないか?

さらに、リプレイは強制なのではないか?「冠詞が作り出すレトリック」は修辞だけではあれず、文法なのではないか?つまり、冠詞を読むとき、それは意味の解釈が行われる以前に既に形而上における存在をダイレクトに記述し終えている・してしまっているのではないか?それは形而下的には無意味ではあるが、決して無視できない存在意義なのではないか?

*1:個人的には、「由来」とか、そーいう語源の方向を考えなくても読める部分を、冠詞で共時的に追いたい。ただ、冠詞の使い方には通時的なレトリックもあるよう。「少なくとも、それが通時的なレトリックである」ことだけは冠詞から逆算できる気がする。

*2:個人的には、「同格」自体の意味論にも興味がある。成立条件とかな。どんな存在論的な意味が、必要・十分条件として成立してしまえる・してしまっているのか、とかね。

*3:逆に言えば、限定詞の修飾先が変更されるような文章の書き方みたいなものの例にもなれそうで、英作の技法としても、興味深いのではないかと思いました。

*4:「イェスペルセンのネクサス」と copula とか結果構文とか adverb particle とか、存在論的な方向でゼロ冠詞や固有名詞を理解する大津栄一郎の方向性。これを存在論へ引っ張ったのが生成文法で、認識論へ引っ張ったのが記述文法と談話文法で、認知文法も似たようなものだと推測。

*5:記述文法の「情報構造」

*6:談話文法の「談話構造」を絡めた上で、「意味上の主語」の持つレトリックの検討

*7:私的な誤読です。