談話文法の視点から記述文法の情報構造を理解する方法

以下はただの繰言である。意味という認識の範囲だけではなく、認識と存在の2つのレイヤーで非排他的に後方&前方照応してるのでは?という疑問を辿っていったら、その存在的で無意味な前方照応が行われたこと自体への意味をメタった時点で、「新情報としてのマーカー」というフツーの記述文法的な情報構造に結末として至っただけである。つまり、ただの徒労。

いや、簡潔にまとめてみると、学校英語つまりは規範文法の中に援用されたカタチで追加される所謂「情報構造」とかいう文法用語]。これを、規範文法の思想的に考えて意味論的に理解してしまうと―たとえ指導の現場では規範文法がもつ意味論的な側面は捨象されてしまっているのだとしても、その片鱗として学習者は自然と意味論的な側面から文法を理解してしまうのではないか?―きっと記述文法でいう「情報構造」つまりはおなじみの「旧情報―新情報」という側面の「価値」を見誤ってしまうのではないかという疑問である。

その情報が「どのような意味『である』か」というような観点からではなく、談話文法のように徹底した「メタ視点」から情報構造というものを理解し、「どのような情報『として』受け取って欲しいか」というような<話者からの視点>を考えた方が、記述文法の成果をより効果的に英文読解に活かせるのではないかという話。

だから、メタな観点から情報価値を考えると、その新情報が実際に聞き手にとって新しい情報『である』かは問題ではなく、新しい情報であると話者が<認識>しているか、もしくはたとえ聞き手にとってその新情報が古い情報『である』ということを話者が知っている上で敢えて新情報として提示している――という認識と談話レイヤーでの2つの可能性がある気がする。

一致しているのに、敢えて在る理由

たしかに、不定冠詞系の新情報には、「完全な新情報」と、「旧情報から意味を奪って変形した新情報」の『2つ』があるんじゃないか?って部分は発見だったけどなぁ。でも後者の奴だって、使用される環境を考えれば、主節と意味上の主語は一致してるはずだし、背景だの存在論レイヤーでの接続だの、実際の解釈にはカンケーネー話。(一致した上で在るってことは、「無意味」ってことだ。)

でも、ネクサス理解には使えるかも!


一応、可能性としては、「主節と意味上の主語が一致してないにもかかわらず、意味上の主語が明示されてない後方照応マーカー」と解釈できるようなthoseとかの指示代名詞とかの使い方があるか?ってとこか。でもこれは、限定詞というよりは名詞構文とか、そっちの方それぞれの構文の問題っぽい。

もちろん、「主節と意味上の主語が一致しておらず、後方照応マーカーかつ意味上の主語も非排他的に前方照応されている」ような指示代名詞の使い方は、今回の話だけでは否定しきれていないけど。


冠詞に大分こだわってきたが、要は、どうしてその構文が選ばれたのか、どうしてその限定詞が・どうしてその方法が、敢えて選ばれなければならなかったのか?構文がもたらす必然的な意味ではなく、その構文が敢えて選ばれたことへの必然性。その選択基準を僕は知りたいんだろう。

意味の中身ではなく、意味の形

で、僕の感触では、記述文法の情報構造から、意味的なもの―事後的に説明できる意味―ではなく、意味に関係なく事前に成立する部分。つまりは書き手の意図という「メタ情報」に焦点を当てる。意味という結果ではなく、どのような意味を結果として持ちうるかという可能性―意味という結果の幅ではなく、結果に至る以前の意味選択の幅―を読む。そうすれば、冠詞のもつ意味の「様態」―意味が書き込まれる「ボード」がどんな形をしているか―が分かるかもしれない。完結未満・完結・完結以上の3つの様態。意味の境界と情報構造。この辺が繋がりそうな気がする。

ガベージコレクション

Children walk, not because older people assist them but because they have a natural desire to take on all those expenditures of nervous energy and muscular adaptations that result in walking.


「S V O」における「O」の中に 「SVOに相当する関係」が発生している。これが「狭義のネクサス(主述関係)」。狭義のネクサスにおいて、意味上の主語は、主節の主語と異なる場合に必要とされる。逆に言えば、意味上の主語が主節と同じ場合、意味上の主語は省略される。例:不定詞、分詞構文

省略できるにもかかわらず、意味上の主語を表しうる限定詞が置かれているケースがある。those A of B that ... の場合、thoseは後方照応的だし、後述の関係詞を呼ぶ。指示先はあるが、指示内容はない。でも、それは事後的な機能分類だ。限定詞が出てきた瞬間に分かる機能分類ではない。

事前情報からだけで読解する方法。つまりは、書き手の意図に沿って、書き手が記したメタ情報のみを読む。談話文法が文単位で「テーマ―レーマ」の連鎖をマクロ的に扱うのなら、1文の内部にその連鎖をミクロ的に適応できるのでは?主節と従属節・文の要素とそれ以外のMを連鎖させる構造。

定冠詞などの照応は非排他的に行える。前方・後方・言語外を重ねることができる。つまり、仮主語のit がデフォルト状態で無意味なのと違い、初期値に意味を持ってしまえる。さらに、この非排他性を「意味」だけではなく、「形式―意味」の2つのレイヤーで二重化する。

those A of B that... において、thoseは前方照応ではなく、新情報かつ後方照応の可能性を示唆するだけの無意味なマーカーでしかないのかもしれない。だが、「意味」レイヤーで前方に繋がっていなくても、「形式」レイヤーで前方と繋がっている可能性があるのではないか?

$those = "children"; という前方照応的な「値」が代入されていなくて、$those = ""; という無意味で初期化され、「初期化」という宣言が、任意の値が後方照応的に代入される可能性を示している。それだけではなく、$those という「変数名」という形式レイヤーにおいては変化していない。

$those = ""; の真偽はFalseだけど、$those には、たしかに"children" が代入されていた。childrenという指示内容はどこからも参照されず、デッドストックへ捨てられる。だが、ガベージコレクションは行われない。メモリは開放されない。変数に残されてすらいない記憶の残滓。

うーん・・・どっちかっていうと $those[] な配列の方が良かったか。だから何か?結局、主節=意味上の主語なら、名詞構文・関係詞にthoseは後方照応だけ行う。意味的にはそれだけだ。でも、後方照応ならtheでもいける。でも定冠詞は使われなった。意味が同じでもメタ情報が違う可能性。

定冠詞による同定は指示先と指示内容の間主観的一致。固有名詞による相互了解は、指示先だけの表示であり、符牒でしかない。ここから二重戦略。"those A"という新情報は初期化され固有名詞化した、ただし代名詞的。

意味は違う、もしくは失われたが、存在は依然として繋がり続けている。同じ存在と違う意味が繋がっている。そんなイメージ。

色の塗られていないフィギュア。無地無色では、まだフィギュアは意味を獲得できていない。無色のフィギュアに色を塗る。色を塗られたフィギュアにマスキングをし、色を更に塗る。色を塗り重ねることで、フィギュアは、その存在の意味を形作っていく。

既知の情報のマスキング。それが既知と繋がり続けている新情報。たぶん、不定冠詞系の繋がり方は、存在の「重点」が移動している。定冠詞系の繋がりは、まだ「重点」が既知の情報の方に在る。存在論的な重点と認識論的な焦点の違い。前者は文の要素、後者は文末焦点。themeとrheme。

結局、関係詞の制限用法も非制限用法も、存在を連鎖させているだけじゃないのか。名詞には、copula(be)が織り込まれている。実詞というネクサス詞の制限的連鎖。SVという主節の非制限的連鎖。



周辺のログ関係

イェスペルセンの「ネクサス」が異常に広いスコープをもってるのは、「意味」ではなく「存在」を意識してるから?構文自体の意味に、存在―copula―という「星状体」を見ている。その「普遍性」において、イェスペルセンの「ネクサス」とチョムスキーの「普遍文法」は似ている気がする。 ... 8:18 PM yesterday from web

文の要素「S」が「新情報」に変換されるならば、同様に、「意味」ではなく<「存在の重点」としての「意味上の主語」>が名詞構文などに必要となる場合もあるはず。「S」は分散する。主節と動作の主体が同じだからといって、「O」における全ての意味上の主語が省略されるとは限らない。 ... 8:13 PM yesterday from web

つまり、英語には「無生物」主語しかない。で、「無生物」は「動作の主体」。そこに単に「ある」ことさえ、主体的動作。<本が、そこにある>のではなく、「本自身が、本自身の意図において、そこにあることを意思している」。 ... 8:08 PM yesterday from web

倒置構文だけが「倒置」ってわけじゃない。全部の文が「倒置」「である」。情報のフィルムを存在のフレームに重ねる。ピリオドまで重ねられれば一つのシーンが再帰する。文頭で「存在」を固定し、認識を重ね、最後に、文頭の「主語」に回帰する。倒置は、倒置されてる要素が結晶的重点であり固有名。 ... 8:01 PM yesterday from web

Nothing...な文は、たしかに無生物主語な文だけどさ。それを言うなら there is...だってそうだし。むしろ全部「倒置」じゃん。そうであるなら、普通の You... だって「無生物」主語と扱える。で、その「無生物」の正体って「be」でしょ?みたいな。「存在」の頚木。 ... 7:54 PM yesterday from web

でも、これ there is 構文だしなぁ…ちょっと違うか。「新情報」と「文の要素でない句・節による文末焦点」の関係。記述の「焦点」と規範の「意味の重点」の違いか。「言いたいこと」と「言われていることの中心」の違いか。記述の新情報は、規範の要素を更にフラットに拡大。メタに連鎖。 ... 7:50 PM yesterday from web

@kimarx thx. I found it. ^^ 別冊の「訳出の工夫1」に、「you」と「あなた」をどう扱うか?も追記ありました。分詞構文の意味上の主語が , which (非制限用法)のように、主節全体になる例も9.3例1に見つかってラッキーでした。気になってたので。 ... 7:33 PM yesterday from web in reply to kimarx

「関係詞の非制限用法(継続用法)による追叙(, wh ...)」と「分詞構文的な追叙(, -ing)」の差。前者:thmeの延長・存在論レイヤーの継続・結晶。後者:rhemeへの以降・rhemeからrhemeへの連鎖・認識論レイヤーへの転換・液体。キーはカンマの4つの接続詞。メモ ... 9:48 PM Oct 28th from web

まぁ、たしかに、kimarxさんが指摘してくださったように、僕の知りたい方法は認知文法系なのかもな。おとなしく安藤貞雄の『現代英文法講義』とか『英文法を探る』でも読め!って話か。 ... 7:33 PM Oct 23rd from web

むしろ大津の「人称代名詞」とイェスペルセンの「実詞」がイコールってかんじか。そうすると、不定詞系・指示代名詞系の持つ形而下性は、限定詞そのものではなく、構文上の位置の方が原因なのかもしれない。 ... 7:29 PM Oct 23rd from web

たしかに、人称代名詞だけが結晶的とはイェスペルセンは言ってなかったはず。っつーか代名詞とか冠詞とか要らなくね?とか言ってたような。 ... 7:28 PM Oct 23rd from web

@yzh フォーマル度の違いかも… > you/people "people <- persons <- a person... <- that person" な連想で「指示代名詞系」かな?とも思ったんですけど・・・ :-P ... 7:24 PM Oct 23rd from web in reply to yzh

同定が新情報に求められていない。書き手は、読み手が新情報の境界性を理解した後で、なおかつ同定ができない、ということだけを期待している――ということになっている。書き手は、書く段階で既に読者の先の先を読んでいる。/ 読者が、その期待を超える可能性は暗に含有されうるのか? ... 7:24 PM Oct 22nd from web

事前的だけではなく、事後的に分かる「再帰的な事前性」。theではなくthoseであるということは、まず第一に、両者は後方照応。にもかかわらず、どちらかが選ばれた。同定できる ・ 同定を求めない。定冠詞は帰納的で形而上的演繹。不定冠詞は演繹的で形而下的帰納。捩れてる。 ... 7:21 PM Oct 22nd from web

僕が知りたいのは、「書かれた文章の意味」ではなく、『書き手の意図』。どうして、そこでthemではなくthoseを、theではなくtheirを、使う必要があったのか?「文章の意味」なんてのは事後的にも修正できるし漸近できる。ならば、事前的な部分に『意図の差』があったのではないか? ... 7:11 PM Oct 22nd from web

可能性が在る と 可能性が発露される の違い。英文は形容詞的に、冠詞によるメタ情報だけで読める――ということになっている。「ということ」の置くには、やはり「管」がが繋がっているのか?themではなくthoseで受け、連鎖させる。その連鎖の影にはメタ情報の変換が隠されているのでは? ... 7:08 PM Oct 22nd from web

theme で使われる人称代名詞と、 rheme で使われる人称代名詞*1に違いはあるのか?人称代名詞は、指示代名詞と同様にゼロ冠詞で形容詞化している。にもかかわらず、二次元より奥の見えない3次元への可能性がある。そこは位置で変わるのか?あくまで可能性だけなのか? ... 7:04 PM Oct 22nd from web

一般総称的な you / people の違い。人称代名詞と指示代名詞の違いでいいのかな?つまり、形而上 / 形而下。見えない人格 と 外見上の認知。 ... 7:02 PM Oct 22nd from web

倒置、制限、非制限

この左へ存在的に繋がったことが、右方向にメタ情報的な意味を与える。というループを考える。名詞一つでネクサスが成り立つbeing(イェスペルセン)。カンマの等位接続は and but for or or の四つ。これを「相」で更に分割。制限用法も非制限用法も分詞構文も、同じで、ネクサスを等位接続で結んでいる。ようなイメージ。